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ハッピースマイルの日記

「人生を笑って生きるためには、どうしたら?」と考えていたら、大事なことが見えてきました。

自分のやっていることを疑うのは難しいもの。

『五十歩百歩』

という故事成語のできる
元となった漢文を
読む機会がありました。


『五十歩百歩』の故事から
孟子が伝えたかったことは、

「王が行っている政治は、
となりの国と比べても大きな差はなく
本質的な違いはないのです。
(だからとなりの国から民衆が流れてこないのでしょう)」
ということだそうです。

 

(後半に、現代語訳を掲載します)


…なるほど。

深いコトをおっしゃっています。

 


王の政治は
『本質的に方向性が違うのだ』ということを
孟子は匂わせているし、

 

   『王が戦争を好んでいる』


その時点でもう、
『本質的』に間違っている、
ということも伝えています。

 

…ですが、

おそらく、王には、孟子の言う

『本質的』とは何か?

…が、ハッキリと理解できなかった
のではないでしょうか。

  


孟子の、哲学や道徳を大事にする次元の立ち位置と、

王の、お金、民衆の数、武力の強弱をモノサシにしている立ち位置には

非常に大きな開きがあります。

 

そして、どちらも
『自分は正しい』と思っているので、
『本質的に違う』の意味が分からないのです。


人類は、何度も何度も戦争を重ねて、
でも、本質に気づかないのは、
孟子のいう次元が
見えない人には見えないし、
自分の行動を疑うことが難しい
からなのですよね。


でも、
そろそろ、
イロイロ、ハッキリとおっしゃる人、
本質に向かって行動する人も増えて来ています。


孟子の立ち位置を理解できる 人が
これからさらに
増えてくるのだと思います。

 

【五十歩百歩の現代語訳】

 

魏の国の恵王が、政治顧問として招いた孟子に、
次のようなことを相談していました。

「私は国をよくするにあたって、民衆に尽くしている。
河内地方で作物が取れないときは、そこの住民を河東地方に移住させ、
河東地方でとれた作物を、苦しんでいる河内地方に残った
住民に分け与えるようにしているし、
逆の場合も同じような政策をとっている。
となりの国の政治と比べても、私のように民のために
尽くしている政治家はいない。
にもかかわらず、となりの国の人口が減らず、
私の国の人口が増えないのはどうしてだろうか」と。

この恵王の質問に孟子が答えた様子が書かれています。

 

孟子が答えておっしゃいました。

「王は戦が好きですので、戦いに例えて意見させてください。
戦いを鼓舞するドラムが鳴って、兵は武器をもって戦い始めています。
そのようなときに、鎧を捨てて逃げ出す兵士がいました。
1人は100歩逃げてとまり、もう1人は50歩逃げてとまりました。
すると50歩逃げた人間が、100歩逃げた人を笑ったとしたら
どうお感じになりますか?」と。

これを聞いた王は答えます。
「それはよくない。(50歩逃げた人は)
ただ100歩逃げなかったというだけで、
逃げたことにはかわりがないのだから。」

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